長崎の様子。








【山王神社。被爆クスノキ】







【軍艦島】







【浦上教会】








【穴弘法寺】






被爆した火鉢。数珠。テーブル。







寺内も紹介して頂きました。


原爆の熱線で溶けた地蔵。





上だけ爆風で飛んで、修復されたものです。




この地蔵は、足から上が原爆の爆風に飛ばされ、手も吹き飛びました。 

この白い部分は、当時の方が片割れを集め、修復したものになります。








穴弘法寺から長崎市全体が見渡せます。 

当時、アメリカ兵も、この地に足を運び、原爆の成果。

長崎の現状を調査しました。 見ると、原爆公園と平和公園が見えます。






穴弘法寺は、本当に行って良かったです。 住職さんは亡くなられたのですが、

副住職さんから、当時のお話をお伺いさせて頂きました。 

当時、長崎では原爆投下直後、何かあったら、 山の上に立つ穴弘法寺に行け。

という言葉がありました。(詳しくは、避難地域だった) 

それで、原爆で被爆した人は水を求めて、穴弘法寺へ向かいました。 

長い長い山道を這うように、登りました。 (自分も今回、その道を辿り、登ってきました)

 当時、住職は水を求める人々に水を与え、その人々は倒れるように死んでいきました。 

ケロイドで皮膚がただれ落ち、本堂には、死体の山だったそうです。 

今も遺族が寺を訪問します。 長崎の現状も当時の様子もお伺いさせて頂きました。 

副住職は仰いました。 「命あるだけで、幸せだ。」と。 

それは、原爆で被爆した亡き住職の言葉であり、被爆者の声だ。と。 

 そして、付け加えるように、 

「原爆は原爆で悲しいけれど、わたしは今の世の中の方が悲しいです。 親が子を殺す時代。何年もかけて、生まれて育てた命が奪われる。今の世の中が悲しいです」 

そして、笑顔で「頑張ってね」と背中を押して頂きました。 

書いてくださった字。と頂いたオレンジ。 





帰りの空港から見た夕陽は本当にきれいでした。 

自分は難しいことを色々、考えていて、纏まらない状態でしたが、 

 「命あるだけで幸せだ」 このシンプルな言葉にどれ程、救われたか。

 今、時代が交錯する中で、情報は溢れ、物は溢れ、自由というものが何か解らない状態です。 

人々は、人を蹴落とし、誰かの荒を探し、それを批難し、金で何かが動く時代。 

でもよく考えてみてください。 誰だって、誰かを想い、そして誰かに助けられて、

此処まで生きて来ました。 ひとりで生きて来られた訳ではない。 

自分もそうです。今まで生きてこられたのは、家族始め、色んな人に支えられて生きて来ました。 今、何が大事なのか。人を想い、そして尊い。 失った命はその人間の中に生き続け、

生まれた命に悦びを。



 風が吹いた今日は、何かか大きく動き出す予感です。 

自分も。そして、あなたも。